アマプラで『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(2025)という日本のホラー映画を観ました。夏はやっぱりそうめんとホラーの季節ということで。
新川です。どうも。
「新次元Jホラー」という触れ込みで以前から気になってた作品だったので観てみたんですが、うん、面白かったです。脚本、演出、キャスト、それぞれ高得点をあげたくなる良作でした。
ただ個人的には全然コワくなかった(笑)。良質なホラーではあったけど、これまで散々観てきたような、完全にオールドスクールな心霊モノだったので。
だからこれのどこが「新次元」なんだ?と思って(笑)、ネットで作品情報を調べてみたところ、監督を務めた近藤亮太さん(ちなみに1988年生まれの方)は、この作品について「少年時代の自分を心底震え上がらせた、かつてのJホラーを現代に復活させたかった」という趣旨のコメントをされていて。
それを読んで、ぼくは自分の中のJホラーの認識が、現代においてはだいぶズレていたことに気がつきました。
今から30年近く前(もうそんな経つんですねぇ)、中田秀夫監督の『リング』(1998)の大ヒットをきっかけに「Jホラー」がブームになったとき、ぼくは近藤監督と違ってもう青年になっていたので、そのころ観たJホラー作品は、ぼくの中では「最近の映画」なんです(笑)。あまりに記憶が鮮明なもんですから。
とはいえ、この30年の間にJホラーもやっぱり変わりました。当初は幽霊や心霊現象のコワさが売り物でしたけど、次第にそういうものは飽きられて下火になって、その後は都市伝説の謎を追っかけるミステリーとか、奇怪な村の風習に巻き込まれるスリラーとか、そういう系の話がメインになっていきましたよね。
だから、ぼくは青年期に初期の心霊モノのJホラーをたくさん観て、そのうち飽きてしまった世代(笑)なので気づかなかったんですけど、近藤監督の世代にとっては、それらの作品は紛れもない「幼少期のトラウマ映画」であり、逆にもっと下の世代にとっては「生まれる前の知らない映画」ってことになるわけです。Jホラーも世代によって捉え方は様々なんですね。
つまり『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、初期のJホラーに特別な思い入れのある世代のひとたちが、それらの作品を知らない今の若い世代に向けて作った「懐かしくも新しい」Jホラーなんだと合点がいきました。
そう考えれば、かつての心霊モノのJホラーを一本も観たことがないひとがこの作品を観たら、たしかに新次元のコワさを体験できるはずですよ。かつてぼくらが味わったのと同じように。だから若いひとたちは、まだこれからいっぱいコワい思いをできるんですね(笑)。羨ましいなぁ。
それではまた。