2017年6月2日金曜日

代々木公園でスピリチュアル・トーク。


もう、6月・・・ちょっと早過ぎますね。
ちょっと意味がわからないですね(笑)。
新川です。どうも。

ちょっと意味がわからないと言えば・・・先日こんなことが。
渋谷まで出かけたついでに、久しぶりに代々木公園に足を運んでみたんです。
心地良い風の吹き抜ける夕刻、池を囲むベンチに座ってまったりしていると、初老の男性が一人やって来て、ぼくの隣側にすーっと腰を下ろしました。
養老孟司さんと谷川俊太郎さんを足して二で割ったような・・・って、全然イメージ湧かないでしょうけど(笑)、まぁ、見るからに「怪しいゾ」という警戒心はまったく抱かせない、温厚な老紳士という感じです。
そのまま二人並んでまったりしていると、しばらくして「・・・少し、風が強くなりましたね」と、老紳士に話しかけられました。穏やかな口調です。
「そうですね」と、ぼくも穏やかな口調で返すと、老紳士は微笑みました。
やや間があって、老紳士はおもむろに「・・・こんな話を知っていますか?」と、切り出しました。「なんですか?」と、ぼく。
「お米のごはんを毎日食べると、お腹の中にいるミタマが喜ぶんだそうです。ミタマというのは・・・ご先祖様の霊のようなものです」

えっ?(笑)。さすがに、面食らいました。何気ない世間話でも始めるものと思っていたら、まさかのスピリチュアル系で来た(笑)。しかも今の状況にまったく関係ない(笑)。何を言い出すんだと思いましたが・・・好奇心で、もう少し話を引っ張ってみることにしました。
「そうなんですか?」
ぼくは若干大げさに驚いてみせました。
「らしいです。ご存知ありませんでしたか」
「いや、初めて知りました。ミタマ(御霊)というのは、つまり、魂(たましい)のことですね?」
「そう。そうです。魂のことです」(この手の話が通じる相手とわかったからでしょうか。老紳士は少し嬉しそうです)
「それがお腹の中にいるというのは面白いですね」
「そうでしょう?」
「お米を食べると喜ぶんですか」
「ええ。・・・そういえば、もうひとつ思い出しました」
「なんでしょう」
「たまげる、という言葉があるでしょう?辞書で調べてみたんですが、あれは漢字では、魂が消える・・・魂消る、と書くんです」
「そうなんですか!」(たまげました)
「そうなんです」
「意外と深い意味の言葉なんですね」
「あるいは、魂という言葉が、昔はもっと身近に使われていたのかもしれません」
「ああ・・・それは、魂という存在そのものが、身近なものとして認識されていたということでしょうか」
「そう・・・そうですねぇ」
と、ここで両者沈黙。

いったい何を話してるんだ(笑)。公園のベンチで、見知らぬひととこんな話をしたのは初めてです。
まぁ、個人的には野球の話とかされるよりはるかに興味ありますけど(笑)、それにしてもまったく知らない相手と盛り上がるには注意が必要な話題です。ぼくは、このへんで話を切り上げたほうが良さそうだと判断しました。
夕刻の代々木公園でのスピリチュアル・トークは、あくまでライトに、見知らぬ者同士、好印象を残したところで終わるべき。最終的に宗教の勧誘とかに行き着いてガッカリするのはヤでした(そういうひとには見えませんでしたが)。
で、まぁ、いちおう音楽家ですから、絶妙のタイミングを見計らって(笑)、ぼくはさりげなく「・・・そろそろ、行きます」と言って、静かに立ち上がりました。
老紳士は残念がる様子も見せず、笑顔で言いました。
「ああ、どうも、お引き止めして、すみませんでしたね」
「いえ、こちらこそ。面白いお話でした」
「いやいや」
「じゃあ・・・失礼します」
「ああ、はい、いや、どうも・・・」

この老紳士に会うことは、おそらくもうないと思いますが・・・いや、実にシュールなひとときでした。「なぜ唐突にあんな話を、しかもぼくに、したのかな?」という素朴な疑問が頭を駆け巡る中、夕陽に染まる代々木公園を後にしたのでした。

それではまた。