2013年5月31日金曜日

面白さの核心とは。


もう、6月になっちゃうんですね・・・。絶句。
っていうか、もう笑うしかない(笑)。笑え笑えー、わははー。
新川です。どうも。

昨晩はまたDVD鑑賞(笑)。他にやることはないのかと(笑)。
前にも観たんですけど「ホウ・シャオシェンのレッドバルーン」という映画を。タイトル通り、監督はホウ・シャオシェン。やっぱり、もう素晴らしかったですね。
で、改めて思ったんですけど・・・前回ブログに書いた「アバンチュールはパリで」もそうだったんですが、こういう「物語のない映画」って、一体どうやって考えるんでしょうね?いや「明確な」物語のない映画って言ったほうがいいでしょうかね。淡々とした小さなエピソードの羅列でできてる映画ってあるじゃないですか。代表的なのは、やっぱジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」ですかね。「どーしてこれが面白いんだ?」っていう(笑)。
例えば、ぼくが「面白い映画を撮れ」って言われたら、やっぱり素人ですから、まずは「面白い物語」を作ろうとするはずなんですよ。起承転結。男と女が出会って恋に落ちて結ばれる。事件が起こって犯人を探して捕まえる。弱小運動部が型破りなコーチの登場で特訓の末、最後優勝(笑)。とかね(笑)。
「面白さの核心」みたいなものは、そういった「物語」から発想して捉えることしかできないと思うんです。もちろん、それだって非常に難しい作業です。でも、件の映画作家たちは、全然違う文脈から「面白さの核心」を掴んでるわけですよね。
決定的な出来事やドラマはなんにもないのに、面白いことにしてしまう。何を持って「これが面白い」ってことがわかるんでしょう?不思議です。もう、才能としか言いようがないですね。
ただ、ひとつだけ、素人なりに・・・本当にド素人なりに(笑)、そういう映画を観続けて見つけたヒントはあるんです。こう、登場人物の設定というか置かれた状況というか立場というか、が、ちょっとユニークで特殊なものだと面白いのかな?と。
先述の「ホウ・シャオシェンのレッドバルーン」の舞台はパリ。主な登場人物は、ジュリエット・ビノシュ演じるシングルマザーで中国の人形劇をやっているアーティスト、その小さな息子と、映画を勉強している中国人のベビーシッターです。
なんというか、この設定の特殊さだけで、すでに映画は物語に満ちているような気がします。あとはもう何も起こらなくても、この人たちを見つめたくなってしまう。このへんが、なぜ面白いかという理由のひとつのような気がします。
いやいや。映画もしくは物語を作ることに実際に関わっている人たちには、きっと笑われてしまうでしょうね。このへんにしときます(笑)。

それではまた。