2016年4月29日金曜日

レッツ・ゴー・クレイジー。


ごぶさたです(笑)。煮詰まっていた次回作の制作ですが、ついにブレイクスルーとなるような曲ができそうで。数週間作業に没頭してました(おかげでまたしても更新すっぽかし記録を塗り替えてしまいましたが・・・)。
新川です。どうも。

今日はプリンスのことを書こうと思います。ご存知のとおり、去る4月21日、57歳の若さで急逝したというニュースには、ぼくも大変ショックを受けました。
「影響を受けたアーティストは?」という質問に、ぼくはこれまで何度も「プリンス」と答えてきました。遠い存在ではありましたけど、そういった人物を失うというのは、やっぱり、さみしいものですね。心からご冥福をお祈りします。

プリンスのファンになったのは、15歳くらいのときでした。最初は、苦手だったんです(笑)。そういうファンはけっこう多いと思います。いきなり好きになったって人のほうが、珍しいんじゃないですかね(笑)?
だって、プリンスが大活躍していた80年代、小学生だったぼくが洋楽番組などで目にする彼の印象はと言えば・・・

1. すぐ脱ぐ(胸毛アピール)。
2. すぐ奇声を上げる。
3. 地声とウラ声をねちっこく使い分けるキモイ歌い方をする。
4. (上記のパフォーマンスを熱く繰り広げるその男の)見た目は完全にオカマ。

って、これハードル高過ぎでしょ(笑)?フツー、引くよね(笑)。
かくして、そろって洋楽好きの姉や兄とともに、プリンス=変態ポップスターという認識をゴシゴシすり込んだぼくは、その数年後に彼の「信者」になるとは夢にも思わず無邪気に鬼ごっこなんかをして過ごしていたわけです。
で、15歳。90年代。ぼくがいよいよ真剣に音楽に夢中になり出したころ。
きっかけは、兄の「入信」でした(笑)。ある日、兄が言い出したんですよ。「ダメだ!オレ、もう、プリンス好き!」って(笑)。まるでゲイであることをカミングアウトするかのように(笑)。「あんなヘンタイを好きになるなんて!」と思ったんでしょうね。もちろん兄を軽蔑したりはしません。「別にいいじゃん」と。
したら、その日から兄の「布教」が始まってですね(笑)。プリンスの魅力を、CD聴かせながらとうとうとぼくに語るわけです。で、「あ、ちょっといいかも」と思っちゃったんですね。そこからプリンスの毒が全身に回るのにさして時間はかかりませんでした(笑)。
試しに当時リリースされたばかりの「Love Symbol」(1992)と、最初のブレイクを果たした「Prince」(1979)という2枚のアルバムを買って聴き出したら、もうプリンスを聴かないではいられない体になってしまい(笑)。ヘロイン中毒者の如く毎月の小遣いをゲットしてはプリンスのCDを買いに走るという(笑)。
ビジュアル面でも、あれほど気味悪がっていた彼のパフォーマンスに夢中になりました。MTVなどでやっていたプログラムを録画して、ビデオテープがすり切れるほど繰り返し観ました。そばで呆れた視線を送る母親の存在を無視して(笑)。
思い返すと、あるアーティストの熱狂的なファンになる、という最初の体験だったんですよね。その後も大きな影響を受けることになるアーティストや音楽との出会いは続くんですが・・・まぁ「初恋」みたいなものですね(笑)。時間は残酷だから、その熱情も次第に冷めてはいくんですけど・・・そのときのプリンスの音楽は、今も特別な思い出として残っています。

先日の訃報を受けて、プリンスについて思いを巡らせているうち、自分がなぜあれほど彼に惹かれたのか、その理由を考えてみたんですが・・・まぁ、本当は好き嫌いに理由なんてないんですけど・・・あえて、なんかカッコイイ理由をつけるとしたらですね(笑)。
やっぱり、プリンスは「人と違って」いたから。はた目にも明らかに(笑)。
人と違うことをおそれてなくて、自分にものすごい自信を持ってた。ヘンタイ呼ばわりされようと自分の信じた表現をためらわないしたたかさがあった。
子供のころから、そういう存在にどこか憧れていたぼくの前に現れた、たぶん、最初のヒーローだったんです。プリンスは。そういうことだと思います。
休息を拒み、音楽のために異常なエネルギーを費やし続けた彼の肉体はついに燃え尽きてしまったけれど、彼のスピリットは永遠です。レッツ・ゴー・クレイジー。

それではまた。