2018年11月2日金曜日

レプリカントのジレンマ。


ここんとこフィリップ・K・ディック原作のSF映画を観直してるんですが、やっぱり面白いですね。繰り返し描かれる「記憶喪失」のモチーフが興味深い。
新川です。どうも。

その流れで最近知った言葉なんですけど、「世界5分前仮説」ってご存知ですか?
論理学の、いわゆる「思考実験」の一つで、この世界が実は5分前に作られたとしても、可能性としては否定できないとする考えです。
提唱者である論理学者バートランド・ラッセルによると、そもそも「過去」というものは、その存在を証明することが不可能なのだと言います。
ぼくらは過去の存在を「記憶」と「想像」によってのみ認識していますが、それは一人一人異なる思念であり、決して「確かなもの」ではあり得ません。ということは、その過去が「本当に存在したのかどうか」は、確かめようがないわけです。
従って「世界が5分前に作られた」というトンデモ仮説も、事実を確定する方法がない以上否定するわけにもいかない、という論旨です。

でも、世界が5分前に作られたのだとしたら、それ以前の記憶があるのはどうしてだコノヤローって思いますよね(笑)。
バートランドはこう答えています。ずばり、それは「作られた記憶」なのだと。
それこそディックのSF的解釈をするなら、ぼくらは何者かによって作られた人造人間あるいは仮想現実空間のキャラクターで、それまでの記憶はあらかじめ仕込まれた上で、「新世界の住人」として5分前に命を与えられた、というわけです。
これまた無茶な説ですが、いちおう辻褄は合います(笑)。

まぁ、面白いけど「ありえねー話」と思いますよね、フツーは。たとえそれが事実だったとしても、ぼくだって本気で信じる気にはなれません。
・・・でもそうすると、ぼくらは『ブレードランナー』に出てくる人造人間「レプリカント」と同じジレンマに陥っちゃうんですよねぇ。
レプリカントの記憶が作りものであることは(物語上)事実です。しかしその記憶を「実感」として認識しているレプリカントは、その事実を受け入れられません。
今のぼくらとどう違うと言うのでしょう?

それではまた。