2018年10月19日金曜日

耳のゲシュタルト崩壊。


先日41歳になりました。40代最初の1年が経ったわけですが、レコーディングが終わんなかったのは想定内(笑)。
新川です。どうも。

終わるどころか、今回のレコーディング何度目かの難関に突入中です(笑)。
なっかなか仕上がりに納得いかない曲があって・・・実はもう8月から延々それで悩んでんですよ(笑)。ずーっと深い森の中をさまよい歩いてます。
その挙げ句、自信喪失したりして(笑)。なんかこれまで作ったやつもあんま大したことないように思えてきて。「やっぱりダメだ、オレは」っていう、どうですかこの負のスパイラルっぷり(笑)。
でも、「カミーユ・クローデル」を作ったときの苦労に比べたら、まだ全然大したことないです。あれ1年以上悩んでましたからね(笑)。カミーユ・クローデルの呪いかと思うくらい全てが難航した曲でしたから。

「カミーユ・クローデル」は、今も冷静に聴けないんですよ。もはや自己評価不能な1曲なんです。やっぱり呪いかも(笑)。
あの曲を好きだと言うひとがたくさんいてくれること自体は、もちろん嬉しく思ってますが、その一方で「どこが良いんでしょうか?」と訊きたくなる(笑)ものすごいジレンマも抱えてて、胸中は複雑です。
ほら、「ゲシュタルト崩壊」ってあるじゃないですか。同じ文字を長時間見つめ続けてると、次第に文字の意味あるいは意味性を認識できなくなって、単なる「図形」にしか見えなくなるっていう現象ですよね。
それと同じようなことは耳にも起きると思うんです。「カミーユ・クローデル」は、難航する制作のプロセスで、当然数えきれないほど繰り返し聴いたわけです。その結果、ある時点でぼくは「耳のゲシュタルト崩壊」を起こして、この曲が良いものかどうなのかという意味性を認識できなくなったんです。単なる音の連なり・・・「ただの音楽」にしか聴こえなくなっちゃったんです。
で、その崩壊したぼくのゲシュタルトは(笑)、今も再生してないんですね。あの曲に関しては。本当に自分ではもうわからないんです。

今取り組んでる曲も、おそらくあともう数回聴いたら崩壊すると思います、ゲシュタルトが(ゲシュタルトっていったい何?)。じゃあ、どこで完成の判断を下すんだって話ですけど・・・どこでするんでしょうね(笑)。

それではまた。