先日、誕生日を迎えまして。44歳になりました。
新川です。どうも。
・・・もはや何の感慨も湧かない(笑)。中途半端な年齢だしね。あるいはこれぐらいのトシになると、人はもう年齢を重ねることに無感動になるのかもしれない。
やっぱり40を過ぎたら、いわゆる「折り返し地点」をまわったと思わざるを得ませんから。あとはもう、老いと死に向かって一直線です。さすがにここまで来ると、若かったころのように誕生日を迎えるたびに一喜一憂する気力もなくなりますよ。もう、あきらめの気持ちっていうかね。「どうせ死ぬんだ」(笑)。
そう考えると、ある程度の年齢までいったら誕生日を祝う意味も変わってきますね。つまり「まだ生きてる!」ってことを祝福する日に(笑)。だから生誕記念日じゃなくて、「まだ生きてる」記念日(笑)。
・・・あ、でもそれを言ったら、別に年齢は関係ないか。全ての誕生日は「まだ生きてる」記念日でもありますよね。
だって、やっぱり人間いつ死ぬかわからない・・・こーゆーことブログに書くと近いうちに死にそうでなんかヤだけど(笑)、でもそうでしょ?ぼくもあなたも、来年も生きてる「保証」なんてどこにもないんですよ?
にも関わらず、来年もお互いにフツーに生きてて誕生日を迎えることができたなら、それは大いに祝福すべきことなんじゃないでしょうか。「今年も生きてた~!よっしゃ~!」っつって、みんなとハイタッチするのもいいんじゃない?
そういえば、映画評論家の淀川長治さんは、かつて何かのインタビューで「誕生日はお母さんに感謝する日」だと言ってましたね。
なぜなら誕生日というのは、自分を産むためにお母さんがうんと苦しんだ日だから。だから自分じゃなく、お母さんをねぎらい、いたわってあげる日なんだって。
これもまた、誕生日の素敵な解釈のひとつですよね。
それではまた。