先週に引き続き映画ネタですが、昨年数々の賞を受賞して話題になった濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)をようやく観ました。
たしかに、これは傑作。たいへん感動致しました。
新川です。どうも。
とはいえ、この映画の魅力はすでにたくさんのひとに語り尽くされてしまったと思うので、今回はぼくが映画を観ていて個人的に特殊な感想を持った、あるワンシーンについてのみ話をしようと思います。
それは映画の後半、主要登場人物の一人を演じる岡田将生さんが主人公の西島秀俊さんに、ある「物語の続き」を語るシーン。
数分間、カメラの前で岡田さんが延々と話をするだけのシーンなので、ハッキリ言って映像としては退屈なんです(しかも場所は車の中。動きはほぼ皆無です)。にも関わらず、岡田さんの口から語られる奇妙な(というか不気味な)物語の魅力にグイグイ引き込まれて・・・気づけば、退屈どころかすっかりそのシーンに没入している自分がいたんですね。それこそ神妙な面持ちでその話に耳を傾けている西島さんと全く同じ状態に、観ているこちらもなってしまったという・・・。
それで思ったんですけど、やっぱり「物語」の力って、スゴいなと。
たぶん通常の映画の話法では、劇中で登場人物が「物語を語る」場合、再現映像を使うのが常套だと思うんですよね。たとえば「この村には古くから恐ろしい言い伝えがあってのう・・・」とかいう婆さんの語りから入って、場面は戦国時代に飛ぶ、みたいな(笑)。先ほども言ったように、カメラの前で役者さんがただ話をするだけではやっぱり画面がもたないですし、何より物語を映像化してみせることが映画の醍醐味なわけですから。
でも、語られている物語そのものが本当に面白ければ・・・あるいはそれを語る役者さんの語り口や佇まいが魅力的なら(言うまでもなく件のシーンの岡田さんは目が離せなくなるほど魅力的でした)、再現映像を使わなくても画面がもたなくても、それは映画としてちゃんと見応えのあるシーンになるものなんですね。
考えてみると、日常の中でぼくらがする「面白い会話」というのも、「面白い物語」を交換する作業だったりしますよね。
「そういえば聞いてよ。こないださ」と言って、それぞれがそれぞれの「物語」を語り合い、耳を傾け合う。で、その場で劇的なことは何も起こらないじゃないですか。そこにあるのはただ、実体を持たない「物語」のみ。
でも、時としてそれがぼくらを最高に楽しませたり、怖がらせたり、泣かせたりするんですから、やっぱり「物語」ってスゴい。
それではまた。