2024年12月13日金曜日

絵の力。


アマプラでアニメーション映画『ルックバック』(2024)を観ました。噂に聞いていたほど心揺さぶられはしなかったけど、面白かったです。

新川です。どうも。


漫画家を目指す女の子二人の青春モノで上映時間58分という小品ながら、表現力豊かな描写と衝撃的なストーリー展開が評判になって、今年注目を集めた映画の一本ですよね。

まぁ、たしかに物語の後半はいろんな意味で衝撃的ではありましたけど、個人的にはその展開自体のインパクトは希薄で、それよりも映画全体を通じて「言葉では説明できない何か」が心に残る作品だったことが素晴らしいと思いました。


それにしても、アニメーション映画はまだまだ進化してますね。ぼくあんまりアニメ観ないから、たまに観ると余計にそう思うんですよ。「今のアニメって、こんなスゴいことになってるの?」と。作画技術の向上はもちろん演出や脚本においても、ぼくの知らないあいだに新しい表現が生まれていたことに毎度気づかされます。

今回『ルックバック』を観てぼくが一番感心したのは、主人公が机に向かって黙々と漫画を描いてる「背中」でした。そのショットが繰り返し出てくるんです。

本来アニメ向きのモチーフではないと思うんですよ。アニメって「動き」で人を楽しませるものでしょ。だから古い考え方をするなら、ほとんど動きのない「机に向かってる人の背中」なんてわざわざアニメでやる意味あんの?ってなりそうだけど・・・意外と面白いんですね、これが(笑)。動きがないからこそ、逆にジーッと見入っちゃうし、印象に残るっていう。

そして『ルックバック』においては、その背中のショットの繰り返しこそ物語上非常に意味のある演出にもなってるわけです。これは新しいし、上手いなと思いました。


でも考えてみたら、実写の映像ではとくに面白くもないモノとか人の動きでも、アニメーションで表現されると感動することってよくありますもんね。あれはどうしてなんでしょうね。

そもそも普通の絵でも、たとえば静物画のモチーフなんて、よくわかんない果物とか壺とか花瓶とか退屈極まりないものばっかりだけど、それが精緻な油絵で描かれたりすると、途端に目を見張るものに変貌するでしょ。不思議ですよね。

見事な絵に描かれたものが(それがどんなにつまらないものであれ)、かくも特別な力を持つのはなぜか?それが絵画の本質なんでしょうけど、なんかそんなことを考えたりもしました。『ルックバック』は、まさにそんな「絵の力」に翻弄される女の子の話でもあったので。


それではまた。