2014年11月12日水曜日

NOTE ー「カミーユ・クローデル」の思い出。


気まぐれな思いつきは、ときに予想外の事態を招く(それはたいてい災難だ)。
例えば、2月のある肌寒い夕刻、仕事を終えたひとりの男が帰り道で突然イザベル・アジャーニの主演映画を観たくなったことが、その後1年以上に渡る苦悩の日々を男にもたらすきっかけになったとしても、さして不思議ではない。
その哀れな男はかくいうぼくで、その降って湧いた欲求に導かれるままレンタルビデオショップへと走っていったのは、今から3年前の出来事である。
そして、そこで借りたビデオの1本が「カミーユ・クローデル」(監督:ブリュノ・ニュイッテン/1988年)という作品だった。

カミーユ・クローデルは19世紀後半のフランスに実在した女性彫刻家で、かのオーギュスト・ロダンの弟子であり愛人でもあったことで知られている。
類い稀な才能と美貌に恵まれながら、名声を得ることも、そして長い間不倫の関係を続けたロダンの愛を勝ち取ることもできず、やがて狂気に取り憑かれ、晩年は精神病院で過ごし、そこで一生を終えたという悲運の人生を生きた人物である。
映画はそのカミーユ・クローデルの生涯を描いたもので(当然クローデルを演じるのはイザベル・アジャーニ)、ベッドの上で鑑賞を終えたぼくは、制作を開始したばかりの新しいアルバムのために、この人物の歌を書こうと思いついた。
それはさぞ悲しいバラードなんだろうと思われるかもしれない。しかしぼくを掻き立てたのは、初めてその存在を知ったある芸術家の人生あるいは映画の激しく重い側面ではなく、美貌の女性彫刻家というモチーフ、そして何よりも「カミーユ・クローデル」という名前のエレガントでロマンティックな響きだった。
この名前の歌を書こう。この美しい名前を持つ女性の歌を。悲惨な晩年ではなく青春時代の彼女のテーマソングを。そう思った。

しかし、これがさっぱり形にならなかった。最初に閃いた「カミーユ・クローデルを演じながら・・・」というシュールなフレーズは、作り手のみが直感する「これはイケる」という確信を持たせてくれたけれど、その確信は、それ以外には何も思いつかない長く苛立たしい時間の経過とともに揺らぎはじめ、3月11日がやってくると完全にブッ壊れた。
この歌を書くのはもうあきらめよう。だいたい筆の進みが悪い曲は上手くいかないものと相場は決まっている。さっさと見切りをつけるべきだった。そう思って別の歌を書き始めたものの。「カミーユ・クローデル」のアイデアは、津波の中で生き残ったあの1本の松の木のように、しぶとく、いつまでもぼくに完成を要求し続けた。
そのころ知り合ったシンガーソングライターの矢野あいみさんにこの悩みを打ち明けると、彼女は言った。「それは、完成させるしかないですね」

結局「カミーユ・クローデル」のレコーディングを終えたのは、翌2012年の夏のことだった。着想を得てから実に1年半(これまで1曲にかけた制作期間の最長記録をブッちぎりで更新した)。すべてのプロセスで作業は難航し、それはまるでイバラの道を進むようで、もはや「意地」のみをモチベーションに完成まで漕ぎ着けたとき、ぼくは全身傷だらけでうつ伏せになって倒れ、果てた。しかしその苦労は、最初に音源を聴かせたLampのメンバーの賞賛の言葉によって報われ、ぼくは救われた。

この曲を耳にする方は、これがそのような苦闘の末に生まれたものとは信じられないかもしれない。何しろ、収録アルバムのマスタリングを担当してくれたエンジニアのS氏によれば「ドライブにぴったり」の爽やかなポップチューンに仕上がっているのだから(ドラムマシーンのサウンドなどは、ほとんど軽薄と言っていいくらいだ)。

制作中、ぼくは何度も「これはクローデルの呪いに違いない」と思った(半ば本気でどこかでお祓いをしてもらうべきかと考えた)。かつて激しい人生を生きた芸術家の面影を、ぼくは土曜の午後のドライビングミュージックにしてしまったのだ。そのような行為に及んだ、あれはやはり罰だったように思う。
あれから更なる月日が流れ、苦悩の日々も、ぼんやりと霞がかった思い出になった。
ようやく披露する機会を得た今はただ、この曲を気に入ってくれた人の分だけ、ぼくの犯した罪が少しでも軽くなることを願うばかりである。

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件の1曲「カミーユ・クローデル」をSoundCloudにアップロードした。
この歌を、イザベル・アジャーニと、カミーユ・クローデルの魂に捧げる。