2015年7月24日金曜日

サマージャム’95。


夏本番。海か?山か?プールか?いや、まずは本屋。です。
新川です。どうも。

上記のフレーズは、スチャダラパーの名曲「サマージャム’95」からの引用です。
人気の高さでは「今夜はブギーバック」と並ぶナンバーではないでしょうか。ぼくも夏になると聴きたくなる大好きな1曲です。
・・・実は、発表された当時はキライな曲だったんです(笑)。タイトルからわかるように、それは今から20年前(うひゃー)の1995年だったわけですけど、当時18か19の若僧だったぼくは日本語ラップが大嫌いで。当然スチャも苦手でした(トラックはカッコイイと思ってましたけど)。まさか後に大ファンになるなんて、今から思うとコペルニクス的転回でした(笑)。
やっぱりアメリカのブラックミュージックファンとして英語のラップに馴染みがあったので、日本語のラップにはどうしようもなく違和感があったんです。日本語のラップが流行り始めた時期ではあったんですけど、「こりゃダメだ」とかエラそーなこと思ってて(笑)。
でも、そこから20年を経て、日本語ラップアレルギーはすっかりなくなりました。
それはやっぱり日本語のラップそのものが非常に洗練されてきたことと、同時に耳がもう慣れたんですね(笑)。ポピュラー音楽史で語られる「はっぴいえんどと日本語のロック」と同じ構造です(笑)。
はっぴいえんどをリアルタイムで耳にした人たちが感じた当時の違和感を、「日本語ロックネイティブ」世代のぼくが感じ取れないように、「日本語ラップネイティブ」の若者たちもまた、ぼくが感じた違和感はわからないでしょうね(笑)。それは素晴らしいことだと思ってますけど。
あと「日本語のラップOK」になったもうひとつの個人的な理由は、自分で歌を作るようになって「歌詞」あるいは「詩」というものについての理解が、昔よりもずっと深まったことも大きいです。言葉の力に反応する感性が身に付いたんですね。
件の「サマージャム’95」で、今ならぼく、泣こうと思えば泣けます(笑)。グータラな若者が過ごすグータラな夏のスケッチ、みたいな内容ですけど・・・なんかこうグッと来るものがあるんですよねぇ。コミカルな言葉の端々に、言いようのない切なさがまとわりついていて。いや、見事だと思います。スチャダラパーの3人は、本当に詩人だなぁと。この曲にそんな感想を持つなんて20年前には想像もしませんでしたけど(笑)。変わるって素敵なことですね、なんて(笑)。
ちなみに、ぼくの周囲では日本語ラップに理解を示す人はなぜだかごく少数で。このへん未だに違和感が根強いのかなと。ひとたび心を許して好きになったら、こんな面白いものないんですけどねぇ・・・まぁ、余計なお世話ですね(笑)。
ともあれ「結局暑さでまいっちまう」ことのないように、水分補給はマメにいたしましょう。

それではまた。