2018年9月14日金曜日

受け継がれる伝統。


街の不良がラッパーになるっていう文化。
いつの間にか日本にも定着しちゃったみたいですね。
新川です。どうも。

ぼくがアメリカのブラックミュージック・シーンに憧れていた十代のころ(もう20年以上昔のことです)、当時人気のあった黒人のラッパーたちはインタビューなんかを受けると、「ヒップホップに出会ってオレは救われた」みたいなこと言うのが常でした。「さもなきゃ、今ごろはムショ暮らしかノタレ死にしてたぜ」なんてね。

ラッパーと言えば、元はストリートのワル。貧困と差別と犯罪にまみれた日常をサバイブしてきたタフな奴ら。というのが、由緒正しい出自だったんです(笑)。ヒップホップ文化の伝統というか、神話ですよね。
実際のところ、その手のエピソードの多くはレコードを売るためにでっち上げられた作り話だったなんてことが後々判明したりして(笑)。まるっきりデタラメではないが、多少話は盛った(笑)とか。
とはいえ、そういったハードな世界が彼らにとって身近なものだったことは間違いないと思います。だからこそ彼らは「語るべき言葉」を獲得し、ラッパーになったはずですから。
まぁ、いずれにせよ当時のぼくにとって、それはアメリカ独自の文化、遠い国のお話だったんです。ヒップホップなんて日本ではまだ一部のひとたちしか知らない時代でしたからね(「ラップ」って言ったら、サランラップのことだと思うひとがほとんどでした)。

しかし、そこから20年余りを経て、日本にもヒップホップ文化が浸透した今。
最近の日本の若いラッパーたちのインタビューをチェックしてみると、「ヒップホップに出会ってオレは救われた」と(笑)。かつてのアメリカの豪傑ラッパーたちと同じ話をしてるじゃありませんか。
曰く、以前はけっこうなワルで、ヤバい目にも遭ってとか・・・なかなか過酷なバックグラウンドを持ったひとがラップを始めてるんですよね。で、ぼくは「すげぇ、なんかもうアメリカのラッパーみてぇ!」(笑)。
今の若者にとっては珍しくない話なんだろうけど、オジサンは感慨深いです(笑)。こう、ひとつの文化が海を渡って伝播していったプロセスを・・・「伝統」が受け継がれた瞬間を見届けたような気がして。
なんか、しみじみしてしまいました。タトゥーだらけのおっかねぇ兄ちゃんの話聞きながら(笑)。

それではまた。