2018年9月21日金曜日

フェイク・ダイアリー。


読書の秋です。なんか読もう。
新川です。どうも。

読書家の友人の一人は、(読書家の多くがそうであるように)「自分でもこのような文章を書いてみたい」という憧れが、やはり常にあるそうです。
友人は一度小説を書くことにトライしたそうですが、書き始めてすぐに「こりゃエラい大変な作業だ」ということに気づいて早々にギブアップ(笑)。「とてもじゃないけど、あんなボリュームの文章は書けない。小説家ってスゲーな」と(これ、ぼくも同じ経験があるのでよくわかります)。
そこで今度は、詩作やエッセイにトライしますが(「小説みたいにたくさん書かなくていいから」)、これも途中で断念。短い文章でひとを惹きつけるには、これはこれで更なる表現力が必要だということがわかったんですね。
その後は日々の出来事を時々ブログに綴ったりなんかもしたそうですが、これも長続きせず、「結局自分には書きたいことも大してなければ文才もないのだ」と悟って、「ツイッターくらいがちょうどいい」というところに着地(笑)。
でも、今でも名文に出会うと、何か書いてみたくなるようですね。「この中途半端な感じがやっぱ素人だよね」と言って友人は笑ってましたが(笑)。

こういうひとはけっこう多いような気がします。周囲を見渡しても、件の友人以外にもこの手合いはチラホラ(笑)。
そこで彼らのために一計を案じ、閃いたアイデアなんですが、ブログを使って「作り話の日記」を書いてみてはどうかと。名付けて「フェイク・ダイアリー」。
「フェイク・ドキュメンタリー」ってあるじゃないですか。まぁ、主にホラー系ですけど、フィクションを「本当にあった出来事の取材記録」という体で構成した映像作品ですよね。あのアイデアをコンパクトにして「日記」にしてみたら、わりと手軽に面白いものが書けるんじゃないかなと。
「日記」の良いところは、まず文才が必要ない(笑)。起こった出来事を記録するだけですからね。ただ、ひとが読んで面白いものにするためには、「面白い出来事」がなきゃいけません。ここがネックです。件の「書けない」ひとたちも、文才以前にまずそれがないから困ってるはずなんです。
この問題をクリアする方法はただ一つ。事実捏造(笑)。ありもしなかった出来事をさも自分に起きたことのように語ってみる。公然とウソをつく・・・これ、ちょっとワクワクしませんか。「物語を語ってくれ」と言われたらたじろいじゃいますけど、「何かウソをついてくれ」と言われたら、なんかペラペラ(笑)出てきそうじゃないですか。

想像のみで書いた、行ったこともない土地の旅日記とか(笑)。「そんなやついねーよ」っていうひとに遭遇した話とか・・・どれも上手く書く必要はないし、いっぱい書く必要もありません。これならツイッターでは収まらないが長文を書くほどでもない「中途半端に書きたい欲求」(笑)を解消できそうですし、それでいて「日記」という体ですから、何も知らずに読むひとは少なからず「えっ」と興味をそそられると思うんですけどね。どうかな。
面白そうだと思った方がいましたら、ちょっとトライしてみてください。くれぐれも最後に「※この日記はフィクションです」と添えるのをお忘れなく(笑)。

それではまた。