2019年2月22日金曜日

二度目の80年代。


映画『レディ・プレイヤー1』(2018)を鑑賞。不覚にも楽しんでしまいました。
新川です。どうも。

思いきりナメてかかったんですけど(笑)。昨年の公開時に予告編だけ見て「やれやれ、また80年代バンザイ映画か」と・・・それも今度はSFで、未来のVR世界を舞台にガンダムとメカゴジラが戦うだのデロリアンと金田のバイクがレースするだのいうんで、「やめてよ、そういうの」と(笑)。オタクっぽいのぼく苦手なんで敬遠してたんです。敬遠っていうかバカにしてて(笑)。
でもまぁ話のタネにちょっと観てみっかと思って、TSUTAYAでDVD借りて観始めたら「ヤバい、面白い」(笑)。グイグイ引き込まれちゃって。
でもこの面白さは、80年代云々というより脚本と演出が優れていたおかげですね。やっぱりスピルバーグの手腕でしょう。なんか意地張ってるみたいだけど(笑)。

それにしても80年代リバイバルブームって、ずいぶん長く続いてますよね(ぼくもまんまと乗っかりましたが)。『レディプレ』DVDの特典映像でも、作品の背景になった「80年代」の魅力が語られていたんですが、その中で出演者の一人、サイモン・ペッグが「現代に直接つながる文化が確立されたのが80年代だった」みたいなこと言ってて。「あー、なるほど」と。長続きの秘密はそこにあるのかも。

たとえば、20世紀初頭から1970年代くらいまでの映画を観てると、時代の「断絶」を感じるんですよね。それらの映画に描かれている風景を現代ではもう目にすることができない。こんなクルマは走ってないし、こんな格好したひとも見かけない。なんかこう、現代とは決定的に切り離されちゃった世界という印象を受けるんです。
そこに「つながり」が見えてくるのが、やっぱり80年代からなんですよね。それこそ『007』シリーズでいうと、『美しき獲物たち』(1985)、『リビング・デイライツ』(1987)あたりからはもう「今」の映画(笑)。そのへんから現代と地面でつながった世界が見えてくる。
この、終わってしまったけれど「地続き」な時代感が、今の若い世代にも80年代のポップカルチャーが支持されている理由なのかもしれません。

・・・ぼくの中ではもう終わりましたけどね(笑)。『Paintings of Lights』みたいなアルバムを作ったおかげで燃焼しちゃったんですよ。二度目の80年代が終わったんです(笑)。80年代はもういい。

それではまた。