2022年6月10日金曜日

手に負えない案件。


ぼくの次回作のテーマでもある「新しい音楽」とは、いったい何か・・・。

今一度、考えを巡らせています。

新川です。どうも。


まぁ、寝っ転がってコアラのマーチ食べながら考えてるんですけど。「ん~、新しい音楽って何かにゃ~」(笑)。

いや、極論を言えば、何が新しい音楽かなんて結局は聴いたひとぞれぞれの捉え方によるとしか言いようがないんですけどね。とはいえ、やはり新しい音楽を作ることを目的としている以上、たとえ「自分なりに」でも作り手はその感触をつかんでいなくてはならないでしょう。

そこで、ぼくが今までに「これは新しい!」と思って好きになった音楽をアレコレ聴き返してみて、それぞれに「なぜ新しいと思ったのか?」「どこを新しいと感じたのか?」考えてみたんです。そこから何かヒントを得られないものかと。

その結果、それらの音楽に共通する点がなんとなく見えてきました。それは要約すると、だいたい次のようなことでした。


ジャンルとしてはあくまで「ポップミュージック」に属していながら、一般的なポップミュージックの形式からは部分的に逸脱している。


この「部分的に逸脱している」というところがポイントですね。どうやらここに「新しさ」を感じるみたい。

たぶん、そこを完全に逸脱してる音楽はもう「ポップミュージック」には聴こえないんでしょうね。新しさを感じる以前についていけない(笑)みたいな。

たとえば、D.A.N.を初めて聴いたときに感じた新しさは、ドラム、ベース、ギター/ヴォーカルという、まさしく一般的なポップミュージックの形式に則ったバンド編成でありながら、その編成のバンドがあまりやらないような音楽をやっていた点にあったと思うんです。その意外性が、すなわち「部分的な逸脱」というわけです。

浦上想起さんの音楽にも非常に新しい強烈な独創性を感じましたが、作品を構成している要素のひとつひとつは、すでによく知られた様々なポップミュージックの引用なんですよね。それに関しては、ごく真っ当なミュージシャン的アプローチと言っていい。ただ、その引用の仕方が常軌を逸している(笑)。あの分量とバランスは無茶ですよ。つまりそれが浦上さんの「部分的逸脱」であり、「新しさ」なわけです。


じゃあ、この理屈が当てはまればそれは「新しい音楽」なのかと言ったら、もちろんそれは違います。

それこそD.A.N.や浦上想起のようなタイプのアーティストはこれまでにもたくさんいましたけど、彼らの音楽が全て新しかったなんてことはないですからね。むしろその多くは、きっと凡庸だったはずです。でもD.A.N.や浦上さんの音楽には、これまでにない新しさを感じさせる何かがあった。その「何か」とは・・・。


だから、こっから先はもう説明不能な領域に入ってくんでしょうね(笑)。魔法とか超能力みたいな世界(笑)。もう手に負えない世界。だから「新しい音楽を作る」なんて、そもそも手に負えない案件なんですよ。うーん・・・もうやめるか(笑)。


それではまた。