2022年11月11日金曜日

踏むべきか、踏まざるべきか。


ラップの歌詞は「韻を踏む」のが重要です。でも日本語の普通の「歌」の世界では、韻を踏むってそれほど重要視されてないですよね。

新川です。どうも。


・・・と、思うんですけど、どうでしょう。そんなことない?(笑)

少なくともぼくは、歌詞を書くとき「韻を踏まなきゃ」とはまったく考えないです。だからぼくの書いた歌は基本的に韻を踏んでませんし、踏んでいたとしてもそれはたまたま踏んじゃっただけで(笑)、意図したことではありません。でもラッパー以外の日本のソングライターは、だいたいそうなんじゃないかな?という気がします。

もともと「韻を踏む」って、西洋文学における詩作の技法ですからね。我々日本人にはそもそも馴染みの薄い文化のはずなんです。ゆえに「韻を踏む」ことには、あまりこだわらないんじゃないかと。


でも、欧米のソングライターはこだわってますよね。だって英語のポップソングを聴いてると、やっぱりこまめに踏んでるもの(笑)。

それこそ前回プリファブ・スプラウトの「Dublin」という曲を紹介しましたけど、彼らの歌を聴いててつくづく感心してしまうのは、あれほど文学的で奥深い詞の世界を展開しながら、やっぱりちゃんと韻も踏んでるところなんですよね。「Dublin」の歌い出しを引用すると・・・


Who does not adore the sound


Of music in the name of towns


To build a city on such picturesque ground


といった具合に、フレーズの最後は「sound」「towns」「ground」で「脚韻」を踏んでるんです。メロディーに合う言葉ひとつひねり出すのにも四苦八苦してるぼくからしたら「そこまでやる!?」って話ですよ(笑)。でも彼らにしてみたら「そりゃ歌詞なんだから韻は踏むでしょ」って感じなのかもしれません。


・・・いや、なんでこんな話を始めたかっていうと、今度歌入れをしようと思ってる曲の歌詞を今直してるとこなんですよ。で、珍しく、韻を踏もうかどうしようかで迷ってる箇所があって。それで「韻を踏む」ことについていろいろ考え出しちゃったわけなんですけど・・・まだ迷ってます。どうしようかな。

「踏むべきか、踏まざるべきか、それが問題だ」っていう。『ハムレット』に出てくる有名な台詞ですよね(違ったっけ?)。今ハムレットの心境です、ぼくは。


それではまた。