2026年9月18日金曜日

腕を上げたな。


『Neon Planet』に続く次の新しいアルバムのアイデアが、少しずつまとまってきました。とりあえず仮のアルバムタイトルを思いつくぐらいには方向性が見えてきましたよ。

新川です。どうも。


毎回「さて次はどんなアルバムを作ろうか」となったとき、まずぼくがやるのは単純に「心の動きを注視する」ことです。

要は自分の興味や関心が今どこに向かっているのか、そのことに意識的になるわけですね。もちろん興味や関心の対象なんて日々コロコロ変わりますから(ぼくの場合はとくに)、それを見極めて次の作品のヒントやモチベーションを得るためには、ある程度の時間を要します。数ヶ月とか半年とか。場合によっては1年とか。

で、その間に自分のアンテナに引っかかってきた様々な物事や、それらに触発されて生まれたアイデアの集積を俯瞰で眺めてみると・・・なんか見えてくるんですよね。自分が今何をやりたいのか。どんな作品をこれから作ろうとしているのか。それを知ることが、ぼくのアルバム制作の第一歩になります。で、今がまさにその状態というわけ。

なので先日、次のアルバムの方向性を踏まえた新曲を1曲書いてみましたよ。まだ歌詞とメロディーだけの状態ですけど、なかなか悪くないです。この路線でもう何曲か書いてみて、さらに構想を練っていこうと考えています。


でも、久々に新曲を書いてて思いましたけど、やっぱり歌を書くのは面白いですね。あと、これまでいろんなタイプの曲を書いてきたおかげで、我ながらソングライティングの腕は上達したなと思います。これは昔の自分に自慢したい(笑)。

それで思い出しましたけど、ぼくの4作目のアルバム『Street Illusion』(2021)は、もともと「ダンスミュージックをやりたい」と思って作り始めたんです。

ダンスミュージックとして成立する歌を書き、自ら歌うというのは、シンガーソングライターとして長年憧れを抱きつつも、ぼくには無理だと思ってずっとあきらめていた課題だったんです。自分の歌声や音楽性は、ダンスミュージックとマッチしないと思ってたんですね。でも、今こそその難題に挑もうと。

で、まぁ、様々な試行錯誤と紆余曲折の末、結果的には90年代ヒップホップ、R&Bテイストのアルバムになったわけなんですけど「これはこれでダンスミュージックの範疇だろう」ってことにして(笑)、当初の課題には決着をつけたんです。

でも、その後『Neon Planet』のレコーディングで「Dancing Beauty」という曲を書いたとき、ぼくはかつてのそんな葛藤をすっかり忘れてたんですよ。曲が完成してから「そういえば、これダンスミュージックじゃん」と思って(笑)。

いつの間にか、自然にダンスナンバーを書けてる自分がいたんですよね。「あ、腕を上げたな、オレ」と思いましたよ(笑)。

だからやっぱり作り続けることは大事。たとえウケなくても(笑)。それはそれで何かしら意義のあることなんだと、ぼくは思ってます。


それではまた。


2026年9月11日金曜日

最近。


あいみょんさんは今年でメジャーデビュー10周年だそうですけど(おめでとうございます)、もうそんなになるんですねぇ。最近出てきたばっかりのアーティストだと思ってたら・・・。

新川です。どうも。


まぁ、トシとると「最近」っていう感覚が狂いますよね(笑)。あまりに時間が経つのが早過ぎて。いったいどれぐらい前のことを「最近」と思うのか、その開きがどんどん大きくなって。

それこそ子どものころは1年前のことだって遠い昔みたいに思ってたのに、それが大人になって歳を重ねるうちに、いつしか2~3年前のことを「最近」と思うようになって、そのうち5~6年前のことも「最近」になって、しまいには10年とか20年前のことも「最近」(笑)。いや、でもほんとにそうなるんですよね。

ちなみにぼくは1977年生まれ、今年で49歳のアラフィフなんですけど、そのぼくの感覚からすると、やっぱり30代になって以降・・・2007年以降の出来事は「最近」です(笑)。少なくともその間の出来事は、そのように記憶してます。

だから、こないだHoneydewの水谷さんと新宿でお茶したんですけど、彼とももう15年くらいの付き合いなんですよ?でもお互い30過ぎてから知り合ったんで、やっぱりそこまで長い付き合いって感じはしないんですよねぇ。未だに「最近できたミュージシャンの友達」(笑)。なんて言ったら水谷さん傷つくかな(笑)。すいません。


あと、Honeydewと知り合ったのと同じころ、ぼくはK-POPアイドルのKARAにハマッてて(笑)。だからKARAが日本でブレイクしたころなんですけど、当然KARAもぼくの中では全然「最近のアイドル」なわけです。

だってKARAが登場した時点で、ぼくはすでに数多くのアイドルの活躍とその変遷をリアルタイムで眺めてきましたからね。それこそ80年代の松田聖子さんや中森明菜さんの全盛期から。その歴史観も踏まえると、KARAなんてもう「最近のアイドル」と思わざるを得ないんですよ。

でも、今人気の若いアイドルの中には「子どものころにKARAに憧れてアイドルを目指した」なんて子もいるでしょう。「えっ?」と思うわけ。「KARAって、もうそんな大御所みたいな立ち位置なの?」(笑)。

だから、あいみょんさんのデビューのこともそうだけど、自分の中では「最近」と思ってたことが、世の中的には「ひと昔前」とされている事実を突きつけられてガクゼンとすることがよくありますね(笑)。


ちなみに。KARAのぼくの推しは、愛くるしい童顔がチャームポイントだったスンヨンなんですけど、さっき調べたらスンヨン今年でもう38歳なんですねぇ。時は確実に流れているんですねぇ(まぁ、今でもスンヨン可愛いけど)。


それではまた。


2026年9月4日金曜日

泳ぐひと。


アマプラで『泳ぐひと』(1968)という映画を観ました。昔のアメリカ映画なんですけど、まさに世にも奇妙な物語でした。

新川です。どうも。


映画ファンのサイトで紹介されてたのを見て知ったんですけどね。どんな話かっていうと、海パン一丁の中年男が、人ん家のプールを泳ぎ歩いて自宅に帰るっていう話なんです(笑)。「なんだそりゃ?」ですよね(笑)。

でもこの映画はアメリカン・ニューシネマの一本とされていて、主演はなんと名優バート・ランカスター。「へ~、そんな映画があったんだ。観たいなぁ」と思ったら、アマプラで視聴可能だったんでさっそく観てみたんです。いや、ぼく的にはすごく面白かったですね。


まず冒頭は、海パン一丁の中年男(バート・ランカスター)が、動物たちのいる森の中を颯爽と走っているシーンから始まります(いきなりワケがわかりません)。やがて男は、森を抜けた場所にある豪邸のプールへとたどり着き、そのままドボーンと飛び込んで優雅に泳ぎます。

するとその豪邸に集っていた、いかにも金持ちそうなパリピ中年たちが次々と彼のもとにやってきて、「やぁ、ネッドじゃないか!久しぶりだな!今までどこへ行ってたんだ?」などと言って親しげに挨拶を交わします。

それらのやりとりから、男はネッドという名で、その金持ち連中と友人関係にあるだけでなく、実は彼自身も(とてもそうは見えませんが)妻子とともに豪邸に暮らす裕福な人物であるらしいことがわかります(ただ、その友人たちとの再会以前に彼がどこで何をしていたのかについてはハッキリしません)。

その後しばらく友人たちと談笑するネッドですが、とある会話の流れで、その友人宅から彼の自宅までの間に点在する豪邸(いずれも彼の友人知人の家)のプールを全部泳いで家まで帰るという奇妙な計画を思いつきます。当然友人たちは「おいおい、何バカなこと言ってるんだ?」などと言ってネッドを引き止めようとしますが、彼はそれには取り合わず、さっそく次なる豪邸(のプール)に向かって再び駆け出していきます。

こうして始まった、彼の「プールをたどる家路の旅」。それは始めのうちこそ楽しげでしたが、なぜか彼の家が近づくにつれ、次第に陰鬱なムードに。そして、ようやくたどり着いた「我が家」で彼を待っていたのは・・・という話。


まぁ、既存の解説や紹介文からの引用になりますけど、この作品は当時のアメリカの上流社会や富裕層を皮肉った、一種の寓話(ぐうわ)なんですね。

つまり「ある日、森から海パン一丁の男がやって来ました」で始まるおとぎ話みたいなもんですよ(笑)。かぐや姫とか浦島太郎のエピソードと同じで、この映画で描かれる奇妙な出来事の数々は、あくまで「何かの象徴」なんです。

それについてぼくなりの考察を述べるのは、ものすごく長くなりそうなので今日はやめときます(笑)。そのかわり、これからこの映画をご覧になる方にぼくからひとつアドバイスを。

この映画は最初から最後までネッドという主人公が見ている「夢」だと解釈すると、受け入れやすくて面白いはずです。実際「夢み」がスゴい映画なんですよ(笑)。

そしてラストシーンから想像し得る「現実のネッド」は、今どういう境遇にある人物なのか?さらにそれを踏まえて、なぜ彼はこんな夢を見たのか?という「夢分析」をやってみるのも面白いと思います。


それではまた。


2026年8月28日金曜日

〈あの絵〉のまえで。


原田マハの短編小説集『〈あの絵〉のまえで』(2022/幻冬舎文庫)を読了。

原田マハさんの本ぼく初めて読んだんですけど、すごく良かったです。

新川です。どうも。


なんでこの本を手に取ったかっていうと、先々週、千葉県で記録的豪雨が降って大変な被害が出たってニュースがありましたでしょ。まさにその日、ぼく千葉の実家に帰省してて。ほんとはその日の夜に自宅に戻るつもりだったんだけど、もう外に出るのはヤバい状況だったんで一泊することにしたんです。

で、寝る前のヒマつぶしになんか本でも読もうと思って、居間の本棚(そこにあるのは主に母のコレクション)を漁ってみたら、件の本が目に入って。

「そういえば原田マハって、いっぺん読んでみたかったんだよな」ってことを思い出して、寝室に持ってってベッドの上で読み始めたわけ。

そしたら最初の数ページで「あ、これ好きかも」ってなったんですよね。まず文体がぼくの好みだったんです。で、あっという間に1編読み終えて、2編目を読み終えると「これ完全にぼくの好きなやーつー」(笑)。

というわけで後日書店に行って、改めて本を購入して読了した次第です(やっぱり気に入った本は自分で買って持っておきたいですからね)。


『〈あの絵〉のまえで』というタイトルが示す通り、ゴッホやモネといった有名な画家たちの名画をモチーフにした、6つの心温まるショートストーリーで構成された内容なんですけど、意外だったのは、ぼく原田マハってもっと気取った文体で気取った話を書く作家だと思ってたんですよ。勝手に(笑)。だからこの本も、クリムトの絵を使った表紙とこのタイトルから、なんとなくパリかどっかを舞台にした洒落た大人の恋模様みたいな中身をイメージしたんだけど、ページを開いてみたら、いきなりカープ・ファンの広島のオバチャン一家の話が始まって(笑)。

そういう思いっきり等身大の日常感全開の人物や出来事が、とぼけたユーモアを含んだ親しみやすい文体で書かれてたんです。その意外さに驚くと同時に、一気に好感を持ったんですよね。そしてその世界観に(まるで関係ないように思える)ゴッホやモネやクリムトを絡めてくる作劇のセンスも素晴らしいと思いました。

これから原田マハさんの本、他にも色々読んでみようと思います。


だからこないだは大雨で足止めを食って、むしろラッキーでした。おかげでお気に入りの一冊と出会えたわけですから。やっぱり素敵な出会いって、偶然がもたらすものなんですよねぇ。


それではまた。


2026年8月14日金曜日

クリエイティブ。


買ってすぐに使い物にならないことがわかった商品って、みなさんどうしてますか?それもわざわざ返品するほど高価なものでもなく、人にあげようにもまず誰も欲しがらないようなものだったら。

新川です。どうも。


こないだねぇ、間違えてまさにそんな買い物をしちゃったんですよ。何を買ったかっていうと、必要以上にデカいザル(笑)。

いや、もともとは新しい包丁を買いに行ったんですけど、店員さんに警戒されることを懸念して、何か他の調理器具も一緒に買うことにしたわけ。あくまでも料理が目的ですよ?っていうアピールで(笑)。

で、そういえば、そうめんやパスタの湯切りをしたり、野菜を洗ったりするのに使う大きめのザルが一部破損していたことを思い出して。店内を探してみたら、今使ってるのと形も大きさもそっくりなステンレス製のザルがあったんで、それを買おうと。「このザルと包丁のセットなら、人殺しだと思われることはあるまい」(笑)。

かくして無事に会計を済ませて家に帰ったんですけど、その新しく買ったザルが現状のものより遥かにデカかったんですよ(笑)。「あれぇ!?」ってなっちゃって。

でも、これって買い物あるあるじゃない?お店で見たときはちょうどいいサイズだと思ったのに、家に帰ってみるとなんかデカいっていう(笑)。だから事前にサイズを測るべきだったんですけどね。急に思い立って買ったもんですから。


実際に使ってみると、案の定、独身者専用の狭い台所では使いづらいこと山の如しなザルでした(笑)。しかも、いつも調理器具をしまってる棚に入らないんですよ。

だから、なんかそのへん(家の中に点在する「そのへん」としか言いようのないスペース)に置いとくしかなくて。もう、ハッキリ言って邪魔なわけ(笑)。

でも買ったばっかりのものをすぐ捨てるのもアレだし、これどうしよう?と思ってしばらく持て余してたんですけど・・・。


あるとき、ふと使い道が見つかったんです。買ってきた食料品を冷蔵庫や戸棚にしまうとき、容量オーバーで入りきらなかったものはとりあえず「そのへん」に置いとくんですけど、その「そのへん」にザルがあったんで(笑)。「あ、とりあえずここに放り込んどきゃいいじゃん」ってなって。

だからザルというよりカゴとして使えることがわかって。これが地味に便利で意外と気に入ってます。こんな感じ↓





って、わざわざ写真撮るほどのもんじゃないけど(笑)。たまたま今ザルに入ってたキャラメルコーンとホットヌードルの組み合わせが、なんか素敵な見た目だったんで珍しく写真を撮りました。


まぁ、例によって超絶どうでもいい日常のひとコマみたいな話でしたが、この出来事はぼくを妙に嬉しい気持ちにさせました。

なんでしょう、使えないと思ってたものに使い道が見つかる・・・つまり価値がないと思われていたものに新しい価値を見い出す。その喜びですよね。

「クリエイティブ」って、こういうことなんじゃないでしょうか。


それではまた。


2026年8月7日金曜日

おそろしく暑い夏。


久しぶりに黒澤明の『野良犬』(1949)なんて映画を観直しました。

まぁ、ぼくはアマノジャクなので誰もが賞賛する黒澤明とは少し距離を置いてるんですけど(笑)、たまに観ると「やっぱスゴいな。面白いな」って思いますね。

新川です。どうも。


いや、前回の話の最後に触れた「終戦後間もない日本の風景」が見られる古い映画を何か観たくなって。パッと思い出したのが『野良犬』だったんです。まさにその当時の東京の街なかでゲリラ撮影をしたシーンが有名な映画ですからね。

あと、観始めてから思い出したんですけど「おそろしく暑い夏」の出来事を描いているので、ちょうど今の時期に観るのにもピッタリの映画でした。ただし、涼しい室内での鑑賞に限りますけどね(笑)。

まぁ、話としては新米刑事とベテラン刑事がタッグを組んで、とある事件の犯人を追うっていう典型的なバディものの刑事ドラマなんですけど(あるいはこの作品がそういうスタイルの先駆けになったのかもしれません)、とにかく登場人物たちは何かにつけ暑さに喘いでるんです。まさに熱中症映画(笑)。もちろん画面から伝わるそのうだるような暑さが、ドラマを引き立てるスパイスになってるわけですけど。

もう主人公の三船敏郎が律儀に長袖の背広なんか着てるもんだから「それ脱げよ!」って思いながらずっと観てました(笑)。

何しろエアコンなんてまだない時代ですからねぇ。扇風機が出てくるシーンはありましたけど、それだって当時は高価だったでしょうし。

だから昔のひとはそんな状況でよく夏を乗り切ってたなぁと思うけど・・・それってやっぱり今ほどは夏の暑さが酷くなかったってことでしょうね。


だって、またこないだの話の続きになりますけど、ぼくが子どものころでさえ、エアコンってまだそんなに普及してませんでしたからね。裕福な家にあるものっていうイメージだった。ぼくの実家にも昔はエアコンありませんでしたよ、そういえば。

あと、昔の「土間」は剥き出しの地面だったっていう話もしましたけど、『野良犬』を観てますとね、このころは道路とかもまだ剥き出しの地面なんですよ。アスファルトじゃないんです。

だから「おそろしく暑い夏」と言っても、やっぱり今ほどじゃなかったんだと思う。言うまでもなく、今日本の都市部は地面のほとんどがアスファルトに覆われていて、それが真夏の酷暑の原因のひとつになってるわけですから。「そりゃそう」っていう話なんですよね。ギラギラ照りつける太陽の下に鉄板を敷いて、その上に暮らしてるようなことだもん。

だから日本中のアスファルトをいっぺん全部剥がそう(笑)。で、土の地面に戻す。それだけでもずいぶん暑さは和らぐんじゃないかと思うんだけど。どうでしょう。


それではまた。


2026年7月31日金曜日

けっこうなトシなんだな。


ぼくも来年でもう50歳になりますけど、未だにそれほど長い歳月を生きてきた実感がありません(笑)。でもどの年代のひともだいたいそんなこと言うから、長く生きた実感なんてそもそも湧かないものなのかもしれませんね。

新川です。どうも。


とはいえ、自分より下の世代の若いひとと話をしてると「あ、やっぱりけっこうなトシなんだな」ってことに気づかされますけど(笑)。

いや、こないだ美容室に髪を切りに行って、ぼくより10歳以上年下の美容師さんと世間話をしてたんですよ。もうここ数年ずっと指名してる、Yさんっていう30代の女性なんですけどね。

で、最近の物価高の話になった流れで、ぼくが小学生のころに消費税が導入されて、突然ものの値段がおかしなことになって最初は戸惑ったって話をしたんですよ。そのときのことをよく覚えてるって。そしたらYさんに「えっ、昔って消費税なかったんですか?」って驚かれちゃって(笑)。

たしかに、Yさんの世代からはもう消費税なんて当たり前のようにあるもので、わざわざその歴史や背景に目を向けることもなかったわけですよね。だから昔は今より消費税が安かったことは知ってたけど「なかった」というのは知らなかったと。

それを聞いて「そうか、消費税がなかった時代を知ってるって、今や驚かれることなんだ」と思って(笑)。いつの間にか、ぼくも古い時代の生き証人になってたってことですね。


考えてみれば「今は当たり前のようにあるけど昔はなかったもの」あるいは逆に「昔は当たり前のようにあったけど今はもうないもの」なんて、記憶をたどればどんどん出てきちゃいますからね(笑)。それこそ幼少期まで遡れば、すっかり失われた昭和の風景すらありありと記憶に残ってますし。

ダイアル式の黒電話(カバー付き)を普通に家で使ってたり。500円がまだ紙幣で流通していたり(500円札っていうのがあったんですよ)。「JR」がまだ「国鉄」という呼称だったり(当然、駅にはまだ自動改札なんてありません。駅員さんがハサミを使って切符を切ってました)。

あと、コンビニが普及する前で、町にはまだ個人商店がいっぱいありましたね。しかもぼくの知ってた八百屋さんとか雑貨屋さんは、店の床が「土」でした。剥き出しの地面なの。文字通りの「土間(どま)」ですよ。土足で入る空間に床を敷く必要はないっていう建築様式。ぼくが子どものころは、まだそういう家屋があったんです。


だからそういう時代を知ってるんだって思うとね(笑)、やっぱりけっこうなトシなんだなって・・・もちろん、今80代のぼくの両親とかの昔話のレベルには遠く及びませんけど(笑)。あっちはもうガチですから。終戦後間もない日本の風景をその目で見ていたひとたちですから。


それではまた。


2026年7月24日金曜日

連ドラは麻薬。


アマプラで配信中の新作ドラマ『クロエマ』を、全話観終えたところ。

面白かったです。これはぼくの好きなやつ(笑)。

新川です。どうも。


占いが得意な金持ちのお嬢様と、彼女の家で居候&小間使いをすることになった女の子が主人公の、ちょっぴりミステリアスな珍騒動、みたいな話なんですけどね。

軽いコメディーでありながら、これまでにない新しさも感じるドラマでした。なんか『時効警察』をもっとエレガントにしたような感じ(笑)。何より主人公を演じる多部未華子さんと杉咲花さんのコンビが最高にチャーミングで、この二人をずっと見ていたくなります。

なので全5話っていうのがちょっと物足りなかったんですけど、明らかに未回収の伏線を残したまま話が終わってるので、たぶん続きがあるんでしょうね。シーズン2を期待して待ちたいと思います。


いや、このところアマプラで新旧の連続ドラマばっかり観てるんですよ。映画全然観てなくて。連ドラ中毒になっちゃいました。でも連ドラって、実際ちょっと麻薬みたいなところがありますよね。

やっぱり一定期間観続けて楽しむ娯楽だから、それだけ依存性が高いし、終わっちゃうとロスに陥るでしょ。あれって禁断症状みたいなもんですからね(笑)。「早く次の面白いやつをくれ~」って(笑)。

でも配信だと、ぼくが面白がりそうな連ドラを次々とオススメしてくれるから、これ幸いと「禁断症状」が出る前に次々手を出すわけですよ(笑)。結果やめらんなくなっちゃって・・・。やっぱり連ドラは麻薬ですね(笑)。


あと、配信で連ドラを観る利点は、個人的にもうひとつあって。

ぼく、配信やDVDで映像作品を観ていると、気に入ったシーンや気になったシーンをその都度何度も繰り返して観る癖があるんですよ。そのせいで、たとえば2時間の映画を観るのに3時間以上かかっちゃったりするんです。それでいつも睡眠時間を削られるっていう(笑)。

でも連ドラって1話最長1時間程度だから、そうやってネチネチ観るのにちょうどいい尺なんですよ(笑)。1時間のドラマを2時間かけて観るっていうのが、今すごく気に入ってるんです。缶ビール飲みながらね。

だからこの調子で新旧の連ドラを観続けるんだったら、もう死ぬまで楽しみには困らないと思います(笑)。老後の楽しみ問題はこれで解決です。


それではまた。


2026年7月17日金曜日

三角関係のもつ煮。


えー、タイトルがもう出オチですけど(笑)、「三角関係のもつ煮」という駄洒落を思いつきました。どうでしょう。

新川です。どうも。


まぁ、「三角関係のもつれ」と「もつ煮」を引っかけたわけですけど、ちょっとわかりにくいかな。いや、ぼく的には近年思いついた駄洒落の中ではけっこうイケてるなと思って、気に入ってるんですけど(笑)。

「三角関係のもつ煮が原因と見られるトラブル」とか。「そういう見方があるのか」っていう。

「三角関係のもつ煮が原因で離婚」(笑)。これ、ちょっと面白くないですか。「三角関係のもつ煮が原因で離婚」って、どういうことなんだろう(笑)。想像力を刺激されますねぇ。なんか強引に説明をつけてみたくなります。

たとえば、なんでしょう?・・・店の名前が「三角関係」っていう、もつ煮込み屋があって(笑)。そこの名物のもつ煮をある夫婦が食べてみたところ、奥さんは絶賛。でも旦那さんの口には全然合わなくて・・・。

夫婦の相性が良くないことが露見してしまい、離婚(笑)。「三角関係のもつ煮が原因で離婚」。いちおうスジは通ってますよね。

・・・あ、だったら、こういうのはどうでしょう。奥さんがある日、牛と豚と鶏のもつをミックスした特製のもつ煮を作ったんですよ。で、それを「三角関係のもつ煮」と洒落て食卓に出してみたんだけど、旦那さんはそれが気に入らなくてアレコレ文句をつけたんですね。当然奥さんはカチンとなって、そこから大喧嘩が始まってしまいます。

「あなたは家のことは何もしないくせに、そうやっていつも文句ばっかり!」「だって家のことはわたしにまかせてって君が言ったんじゃないか!」「言ってません!」「言いました!」っていうお決まりの不毛なやりとりからの「だいたいあなたは!」「だいたい君は!」みたいな。

で、しまいには感情を爆発させた奥さんが食器を壁に投げつけて壊したので、それを見た旦那さんは「そうか、君はそういうことをするんだな。もうたくさんだ!君との暮らしはもうおしまいだ!」と叫んで・・・。

離婚。「三角関係のもつ煮が原因で離婚」。


・・・うーん、リアリティを足してみたんですけど、そのぶん笑えない話になっちゃいましたね(笑)。

しかもこの場合、「三角関係のもつ煮」は離婚の原因というより、たまたま離婚を後押しすることになった要素のひとつに過ぎないですよね。もつ煮以前からこの夫婦の関係には、すでにヒビが入っていた感じがしますし。

それにしても、今こうしてる間にも、こんなことは世界中のあちこちで起きてるんでしょうねぇ。なんだかやりきれない気持ちになります。

・・・まぁ、だから結婚なんかしないほうがいいっていう話ですよね(笑)。


それではまた。


2026年7月10日金曜日

録り鉄。


駅のホームで流れるアナウンスを録音している不思議なひとは、「録り鉄」と呼ばれる鉄道マニアだそうですね。

新川です。どうも。


「録り鉄」って聞くと、なんか焼き鳥屋を思い出しますけど(笑)。じゃあ、録音するのが好きな貴族は「録り貴族」?(笑)。

でも、ぼくもときどき見かける「録り鉄」って、なぜか少年であることが多い気がするんですけど、たまたまですかね?いや、こないだも中学生くらいの男の子の「録り鉄」を見かけたんですよ。こう、ヘッドフォンして、マイクを取り付けた竿みたいなやつ持ってね。駅の天井のスピーカーから流れるアナウンスを、直立不動&無表情で録音してるわけ。

それを見て、「いったいこの少年は、どういう経緯でこういう趣味を持つに至ったんだろう?」と思って(笑)。

たとえば「乗り物」としての鉄道の魅力だったら、素人のぼくにもある程度理解はできますよ。デザインの美しさとか機械のカッコ良さに惹かれる感覚は、よくわかりますから。

でも、駅のアナウンスを録音して楽しむっていうのは、ちょっと・・・(笑)。やっぱりそこは、マニアしか到達できない領域ですよね。ほんと世の中、いろんなひとがいるもんです。


でも、そんな「録り鉄」に、ぼくは深い共感を覚えてもいるんです。

まず、対象は違っても世間一般のひとが興味を持たないことに興味を持つという点でぼくと録り鉄は明らかに同類ですし(笑)、「一人で録音する」という孤独な行為を趣味にしてるとこも一緒です(笑)。

加えて録り鉄たちの敬愛すべきところは、一般的には奇異に見えるその行いを、大勢のひとの視線に晒されながら正々堂々とやっていることです。

これってつまり、自分の「好き」を追求するためなら他人にどう思われたってかまわないっていう、完全に「ロック」な姿勢ですよね。最高(笑)。「録り鉄」ってロックなんですよ。それこそ周囲に媚びてばっかりいるような、そこらへんのヘタなロックミュージシャンなんかより、録り鉄のほうが遥かにロックです。


そう考えると録り鉄たちの、直立不動&無表情でマイクを掲げているあのポーズは「反体制・反権力」の意思表示にも思えてきますね(笑)。なんなら実はあれ、アナウンスを録音してるんじゃなくて、ヘッドフォンで70年代パンクとかを聴いてるのかもしれない(笑)。ああいうシチュエーションで聴くと、よりテンション上がるんでしょうね。こないだ見かけた少年も、本当は爆音でクラッシュやピストルズを聴いてたのかもしれない。アツいなぁ。でも、それはもはや鉄道マニアじゃなくて、特殊なロックファンか(笑)。


それではまた。


2026年6月26日金曜日

ドラムがオレを呼んでいる。


先日、20年ぶりぐらいにドラムを叩きました。

新川です。どうも。


いや、もう去年からずっと、ことあるごとに「またドラム叩きたいなぁ」と思ってたんですよ。『Neon Planet』のレコーディングで、何年も打ち込みとデジタル編集ばっかりやってましたからね。体を動かして楽器を演奏することに飢えていて。

でも、ギターやベースやキーボードは家でいつでも弾けるからいいんですけど、ドラムを叩くにはスタジオに行かなきゃいけないんで、なかなかそこまでのモチベーションが上がらず・・・昔はストレス解消とか、ただの遊びでドラムを叩きによくスタジオに行ってたんですけどね。もうトシをとって、すっかり出不精になってしまいましたから。

でも、ぼくのドラム叩きたい欲は、日ごとジワジワ高まり続けて。ここへ来て、もはや抑え難いものになってしまいました。「もうダメだ。ドラムがオレを呼んでいる」ってなって(笑)。昔よく行ってたスタジオを久々に訪れて、2時間ドカスカ叩きまくってきました。


いやぁ、なんか・・・長いこと忘れてたいろんなことを思い出しましたねぇ。ドラムにまつわるアレコレや思い出を。

やっぱり「体を使う」ことによって記憶が甦る感覚って、特別ですよね。ほら、懐かしい匂いをかいだときとか、なんか「うわ~」ってなるでしょ(笑)。一瞬でマインドがその時間にタイムスリップするみたいな。そんな感覚を味わいましたよ。ドラムを叩いてるときはもちろん、その前にセッティングをしてる段階でもう「うわ~」でした(笑)。それぞれのパーツの高さや角度を調整したり、ヘッド(打面)のチューニングをしながら「うわ~、これこれ、この感じ」。

なんと言っても、ぼくが音楽に興味を持って、一番最初にやってみたいと思った楽器がドラムでしたからね。それで高校生のときにドラムを叩き始めたのが、ぼくの音楽活動の始まりでしたから。改めて、自分にとって思い入れのある楽器なんだなぁって思いました。


ただ、20年のブランクのおかげで、さすがに腕はガタ落ちしてました(笑)。久々に思いきりドラムを叩けて気持ち良かったけど、それと同時に、全然思うように叩けなくてくやしかったです(その感じも懐かしかったですけどね)。

だから、あんなにスタジオ行くの面倒くさがってたのに、また当分通う気マンマンでスタジオをあとにしましたよ(笑)。なんならその足で楽器屋さんに寄って、新しいドラムスティック買っちゃいましたもん。なんか火がついちゃいました。

この熱意は、次のアルバムの原動力になるはずです。


それではまた。


2026年6月19日金曜日

こんなジイさんになりたい。


アマプラで『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』(2013)というドキュメンタリー映画を観ました。

新川です。どうも。


まぁ、ぼくがソール・ライターを敬愛してる話は過去に何度かしましたので、その経緯は今回省略することにして。彼がどんな人物かということだけ、改めて説明しておきますね。

ソール・ライターさんは、1923年に生まれたアメリカの写真家。50年代から80年頃までファッション・カメラマンとして活躍した一方で、作家としても自身の写真作品(主に「街の風景」を詩的に切り取った作品)を長年撮り続けていましたが、そちらの活動が評価されるようになったのは、なんと80歳を過ぎてから。

というのも、ライターさんは世間の注目を集めることにはあまり関心がないひとだったので、そもそも自分の作品を積極的にアピールしてこなかったんですね。でも彼の作品とその素晴らしさを知る一部のひとたちの尽力で、2006年に初めて作品集が出版されると「こんなスゴい写真家がいたのか!」とアートシーンはひっくり返ります(とくに50年代にカラーフィルムで撮られた作品はあまりにも時代を先取りしていて「ライターこそカラー写真のパイオニア」と評されました)。

かくしてライターさんは、ようやく写真作家として日の目を見ることに。そしてそれから数年後の2013年に、89歳でこの世を去りました。


件の映画は、そんなライターさんがまだ生きてたころに行われたインタビューとその暮らしぶりを記録したドキュメンタリーで、ぼくは今回初めて観たんですけど「動いて喋るソール・ライター」を見て、ぼくはますます彼のことが好きになりました。

だって、冒頭から最高なんですよ。なんか神妙な顔した気難しそうなジイさん(ライター)が、カメラの前で新聞をめくりながら「こんなもん撮ってどーすんだ」とか「ワシの映画なんか作ったってしょうがないだろ」とか「断じて言うが、ワシは映画に撮られるような人間じゃないゾ」みたいなことを延々ブーブー言い続けるわけ。

でもそのあと、ちょっと間を置いて「・・・まぁ、別にいいけど。・・・今の場面、冒頭に使うのはどうかね?」とか言って笑うの(笑)。ぼく、こんなジイさん大好きなんですよ。この映画を観て、ソール・ライター本人もすごく魅力的なひとだったことを知りました。いや、このひとは映画に撮られるべき(笑)。


あと改めて思いましたけど、とかく芸術家が翻弄されがちになる自己顕示欲や承認欲求とは、ほんと無縁なんですね、このひとは(笑)。いい意味で「自分のことなんかどうだっていい」と思ってるひと。自己否定とも謙遜とも違う意味で。それが本人の飄々とした佇まいに表れてましたよ。なんてさわやかなんだろう。やっぱりこういうひとには、ぼく、憧れますね。こんなジイさんになりたいって思いました(笑)。


だから、この映画の撮影直後にライターさんは亡くなってしまったので、監督のトーマス・リーチさんには、よくぞ撮ってくれましたと言いたいです。こんな素敵な人物の映像を残してくれてありがとう、と。興味を持たれた方は、ぜひご覧になってみてください。


それではまた。